【脳内会話】正しさは強制されるものじゃない、選ぶものだ!
どもー!アリーです(^^)
今日は徳川家康のハッピーバースデーですね!※旧暦の、だから、今なら1月31日を祝うべきなのかな?ってWikipedia見て思ったけど、まあいいか。
昨日のイエスさんの誕生日は、普通に働きましたが、EVEにケーキを食べました。ヨシュアさんおめでとうー!(※聖おにいさん好き)
さてさて、今日は、【目の前の『正しそうなこと』に流されないで!】というお話。
※あきらめないで!ではなく。
正しそうなことっていうのは、だいたい4つあると思うのです。
①常識的だと思えること
②その場の空気に合ったこと
③自分のためになりそうなこと
④人のためになりそうなこと
このうちのいくつを満たしているのか?
全部満たさなきゃいけないのか?
先に言ってしまうと、①と②は無理して満たさなくていいかなーと思います。
それを満たしたいときって、
『嫌われたくない』
『責められたくない』
『役立たずになりたくない』
みたいな、ちょっとした恐怖が隠れてるだけだと思うのです。
それってつまり、
『嫌われてもいいから、そこは譲れない』
『誰かに責められても、やるべきorやらないべきことだ』
『役立たずと人に思われても関係ない』
と思えるくらいの【自分の軸がない】ってだけじゃないかなーって。
自分の軸がないから、常識とか空気とかに頼っちゃうんじゃないのかなーって。
『わたしは時代ごとに変わる常識について研究していて、それを着実に理解している。そしてそれを守ることが生きがいだ』
っていう信念がある人にしてみれば、わたしが言ってることは間違いでしかないですけれども。いたらすいません。。
逆に、③と④は、できたら両方満たしたいな〜〜と思うのです。
むしろ、④が満たせたら、③が満たされることも多そうですよね!
けど、④を満たすために③を犠牲にするのは、ダメ、絶対。いつかどこかでガタが来ます。これ、絶対。
例えば、『家族を幸せにしたい』って考えている人がいて、
ある人は『家族で過ごす時間が幸せ』と家庭に入って家族のために尽くし、
ある人は『家族がお金に困らないように』と仕事を頑張り、
ある人は『自立できるように』と、何にもしない。
どの人も、家族のために、自分に合った方法で行動してますよね。
すごく素敵なことです。
ここで気をつけたいのが、【自分の中の『こういうのが幸せ』説】を盲信するあまり、本当に家族が幸せを感じているかどうかに目を向けられなくなる可能性です。
その状態になってしまうと、満たされているのは③だけ、もしくは①と③だけです。①はいらないって、言ったじゃーん!
この辺りは、『相手だってこれで幸せだ!』って決めつけず、【ちゃんと相手とコミュニケーションをとる】ことが大切ですよね。
…わたし、すごくやりがちなんですよね。自覚、ちゃんとあるんですよ。笑
『わたしの考えが正しい!これがみんなにとっても良いことだ!』
って…
剛田タケシもびっくりのジャイアンっぷり。いや、むしろジャイアンは可愛げある。(あと、映画だと、後半ですっごくいい奴になる。)
※こんなジャイアンになりたい、と思えるとってもいい画像が見つかりました。
なので、わたしもジャイアンくらい可愛げが欲しいわけです。
そこで、まず1番大切なのは、【自分の軸を決めること】です。
自分が目指す姿や、自分が望む状態をしっかり思い描くこと。
それがないまま『正しいこと』をしようとすると、常識とか、その場の空気に飲み込まれてしまいます。
何か目指すところがあるからこそ、そのために1番正しいことは何か?の判断ができます。
その上で、
『自分が目指すor望むものは、相手にも良いことだろうか?』
『自分と相手の両方が良くあるために自分には何ができるだろう?』
と自分に問いかけ、そこで出てきた答えが【ほんとうに正しいこと】じゃないか、と。
その相手として、恋人や友達は個人なので、相手にとって良いことが思い浮かびやすいですよね。
家族は、個人の集まりだから、ちょっと難易度上がりそう。ですから、さらに丁寧にみる必要がありそうです。
仕事なら、お客様や取引先、それに一緒に働く仲間もそうですよね。そんなたくさんの人にとって良いこと…これは、とても目指し甲斐がありそう!
そうやって、自分にも相手にも向き合って、答えを探して、実際にやってみる。その結果から、また考えて、行動。
その繰り返しが大切だと思うのです!…こう書くと、仕事でよく使うPDCAまんまですね。そんなに業務的な話をしたかったわけじゃなかったのにおかしいな。
まあいいか。笑
PDCAって考えるとめんどくさくなっちゃうかも知れないので、気楽に、そして大切にやってみることにしましょう!そうしよう!
では、また!